2014.03.04


*「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」 の 「THE FLYING MAN'S PARACHUTE」 全訳
非常にショキングな大惨事が木曜日の夕方、イギリスのChelsea(チェルシー)で発生した。
Mr.Joseph Simmon(ジュセフ・サイモン)の気球から、新発明のParachute(パラシュート)によって降下を試みようとしている時、ベルギー人のVincent de Groof (ヴァンサン・デュ・グルーフ)はCremorne Gardenから
離陸した直後、高さ80フィート(ft)(1ftは約30cm)の高さから突然に、地上に落下し、即死した。M. de Groof (Vincent de Groof )は数年間、鳥を模倣して飛行出来ると信じて、機械を作ることに専念していた。
この機械は、概要として、コウモリのようなの翼、Cane(竹/籐)でつくられた骨格、そして丈夫で防水のきいた絹の膜で出来ていた。Wingの長さは全体で37ft、平均的な幅は4ft、尾翼は18ft×3ft の幅があった。
これらのWingは操縦者が位置する所の木製スタンドに取りつく2つのヒンジ付のフレームに挿入されていた。この機械には、3つのレバーがあり、手動で、意の向くままに推力と方向が制御ができるようになっていた。
彼の理論によれば、決められた高さからスタートすれば、一つの傾斜した急降下の運動によって、衝撃の危険性が無く、地上に達せられるように、その降下は制御される、というものであった。
約1年前、M. de Groof はBrusselsのGrand Palaceで、非常に高い所からの降下を試みたことがある。しかし、その努力は報いられなく失敗したが、彼は負傷はしなかった。
彼は、今年の夏、ロンドンで、先月29日、Mr.Simmonsの気球にそれを取り付けて、共に、Cremorne を離陸した。この時は、300~400ftの高さから、Epping Forestに安全に降下した。
第2回目の試みも、いまだ未熟のままであったので成功はしなかった。その機械が正常に作動しなかったので、サイモンは彼と上昇することを断った。
最後の試みとして、致命的と思われる状況の中で、夕方、パラシュートをTamesに降下させようとした。
M. de Groof は降下したいと思う時、彼は気球からいつでも切り離すことが出来た。この目的を達成せるために、地上から所定の距離以内に気球を位置することを、彼はMr.Simmonsと打ち合わせをしていた。
気球の高度は4000ft以下、地上から300f以上のところであった。

De Groof  は英語を理解することが出来なかったので、二人はお互いにドイツ語で、大声で叫んでいた。De Groof は彼がいるところの高さのみ叫んでいたと、Mr.Simmonsは云っている。
下で目撃者していたチェルシー病院のポーターはこの気球とパラシュートを見ている。英語で”落とせ、教会の庭に! 注意しろ! 注意しろ!” と上空で2回叫ぶ声を
聴いたか、あるいは、聞いたようなする気がした。彼らは St. Luke's Church の近くを飛んでいて、教会の高さより、そんなに高くはなかった。 De Groofは、その後、すぐに気球からその機械を切り離したように

みえた。
Mr. Simmons は、彼自身が平衡感覚を失い、ロープにしがみ付いたまま、前方に下降して行ったと考えている。その機械は降下中、空気の圧力によって広がる代わりに、回転しながらRobert -streetの縁石から
数ヤードの所に、衝撃を伴って落下した。不幸な結果になった彼は、意識は無かったけれども、呼吸はしていた。残骸から引き出され、病院に搬送されたが無駄であった。
彼は決して意識を回復せず、病院に到着した時、外科医は彼の死亡を宣告した。夫の墜落を目撃したグルーフ夫人は気を失った。
気球は上昇しロンドンを横切り東北の方向に飛んで行った。サイモンは籠の中で茫然としていて、Victoria Park を超えるまで、彼の意識は回復しなかった。
彼はEssexまで飛行した。汽車のEngine-Driverは、惨事に巻き込まれないように、急停車させた。サイモンは、そのすぐ前の鉄道上に気球とともに降下した。
グルーフの検死が月曜日に Dr. Diplock によって行われた。

明治7年9月13日、「東京日日新聞」 に掲載された飛行機のような、グライダーのような、又は
パラシュートのような機械の挿絵について。

原文では「THE FLYING MAN'S PARACHUTE」(パラシュート)の見出になっているが、下記の我が国の新聞にはいずれも、見出しは無く、この言葉が省略されている。本文中では「器械」又は「機械」という言葉のみで内容を伝えている。
それまでのパラシュートという概念と今回はあまりにも異なっていたため理解し難く,敢えて、この言葉の使用を控えたものと考えるれる。

*各新聞の状況
1874(明治7)年7月18日 英国の新聞 「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」  「THE FLYING MAN'S PARACHUTE」 と題する記事が挿絵つきで記載された。
この挿絵にはベルギー人、バンサン・ デュ・グルーフ(Vincent de Groof)のパラシュートがジョセフ サイモン(Joseph Dimmon)の気球から切り離された様子が描かれている。
この新聞内容について、全訳しておきましたので下記を参照してください。

1874(明治7)年9月2日  
「横浜毎日新聞」 1030号 の「外国雑聞」の欄に、これに關係する記事が簡単に紹介されている。
特に見出しは無く、挿繪も無い。
この記事の要旨は次のようになっています。M.de Groof(Vincent de Groofと同じ)は7月9日、クレモールの公園から上昇、
約30分後、北に向かって徐々に降下、セントリューク寺院の塔の高さに接近、衝突を防止するため、器械と気球を結合している縄
を切断、落下し即死する。年齢は35才であった。気球操縦者も寺院に器械が衝突するのを防ぐ為、3個の砂のバラストを放出して
上昇を試みた。その際、下に位置するグルーフの器械に接触したとの事。
これは、「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」内容と状況が異なっているため、別の方法(電信)で伝わって来ていたものと
考えられる。 


1874(明治7)年9月13日 
「東京日日新聞」 797号 の「海外新報」欄に、原文を要約した記事が、同様の挿絵つきで掲載
された。(内容は省略)

*1870年代の船便の状況
マルセーユ発、スエズ運河経由横濱までの定期便は、「フランス郵船(M.I.)の1870年度運行予定表」によれば、その一例として、
7月23日(マルセイユ)発、アレキサンドリア、ホンコン経由、9月8日(横浜)着の便が利用できた。
7月18日に発行された「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」ロンドンからマルセイユまでは主に鉄道を利用し、この計画
によれば9月8日に横浜に到着するので、9月13日付の「東京日日新聞」に掲載することは、十分可能である。

新たに画像の版を作製した後、この記事の掲載までの期間が約55日、当時挿絵をつけた新聞としては相当に早い発行であり、
それだけに興味ある記事であったものと考えられる。

まだ寫眞伝送の技術が実用化されていなかった時代、ヨーロッパからの画像情報は、これが最も早い方法であったと考えられる。
なを、当時、ヨーロッパから横浜まで、地球を東回り、西回り、同程度の日数を要したもようである。


上記の詳細内容については各新聞にて確認してください。

THE ILLUSTRATED LONDON NEWS,
JULY 18,1874 (明治7年7月18日
                                

横濱毎日新聞
明治7年9月2日(1874)発行

東京日々新聞
明治7年9月13日 (1874)発行